1年前とは驚くほど体調が悪くなっている。
この1年に起こした「蜂窩織炎」のせいで、QOLが更にまた下がったことはもう何度も書いた。
気持ちも沈むことが多い。
微熱も1日おきくらいに出る、気分が悪い。
まだ正常な頭が働くうちに、息子に託す「言葉」を遺したほうがいいと思う。
1度目の「遺言」は、2006年の夏、リンパ浮腫を発症して弾性ストッキングを履き始めて初めての夏。
締め付けでお腹が苦しいのと、夏用がなく暑さに耐えられないと涙目になり、大げさだが「脳血管が切れて」の死も覚悟した。
A4の用紙に手書きで数項目書いた。
画板に挟んでどこかに置いたが、今は行方不明笑笑
まだ息子が高校生だったので、息子を誰にお願いするかが一番の懸案事項だった。
今ほど関係が悪化していなかった妹夫婦にお願いする旨を書いたと思う。
そして、当時の所持金を息子と両親へ遺して、両親にも息子を頼むということを書いたはず。
「パパがいた3人家族だった頃の楽しかった思い出を忘れないで」と書いたのは忘れない。
2度目は2013年、息子が国家試験浪人中、夏に蜂窩織炎を起こし母に来てもらい、その母が帰った後。
母が自分も足を怪我していたのを言わずに手伝いに来て、入れ替わるように私は母のお世話をした。
私の体調がストレスと夏からの蜂窩織炎後からガタガタになり、やっと母を実家に帰して・・
母の怪我の心配をしたり、自分の動悸、食欲不振などで落ち込んだ。
詳しくは割愛するが、いつ死んでもいいような気分を、母に手伝いに来てもらったせいで感じたのだ。
この時もA4の用紙に書いたが、数年前、思い出したくもなくなり、捨てた。
何を書いたかは覚えていない。
その後、冒頭の写真の「生前整理ワークブック」を本当の遺言書にしようとしていた。
数日前にめくったら、すでに令和2年4月5日には息子宛に「葬式無用、戒名不用、骨は○○寺の納骨堂に納めてください」と書いて、印鑑も押している。
白洲次郎さんの遺言を模倣させてもらったのだ笑笑 あとは全部空白。
これは、片づけと思い出の整理が主で、5年後を考えた緩やかな生前整理ノート。
現実的にはお金、介護、葬儀のこともしっかり書いておく実務的なものが昨年発売されている。
いざ、書こうとすると、年齢を経て来たのになぜか書けない。
本当に調子が悪いのだ。
これまでの人生を振り返る部分の記載もあったりして、なんか面倒・・
しかし、これを書く時期はもう来ている。
けど、ノートをめくれど、筆は進まない。
このままでは、最新の令和2年の「骨は納骨堂」に、が優先になってしまう。
お墓のことも、息子が帰ってきたら話し合って、書いておかねば。
遺言は「元気」なうちに書いておかなければと後悔している。
「40歳過ぎたら」という文句もついている。突然もあるからね、亡夫のように。
65歳過ぎたら自分を甘やかして、ひょっこり元気になってからにしようと思って先延ばしになっているのかな。
このブログも一種の遺書のようなものかもしれない。
息子は独身だが一人立ちはした。相続人は息子だけ。
後は「葬儀」「お墓」「預金・株式・投資信託」「このマンション」のこと。
何も片づけないで逝ってしまうのは申し訳ない。
が、息子がいらないと判断したものは全て捨てていいとは言ってはいる。
しかし、ちゃんと文面に遺しておかねば。
幼い頃からの写真類の整理をしていないのが、後悔の1つ。
昔のアルバムは重いし、嵩張るし、時間がかかりそうで、今は手がつけられない。
やっぱりもっと元気な時から、ちゃんと遺される人のために断捨離・整理整頓が必要だと痛感する。
ある面からだけ見たら、人って本当に面倒なものだと思う。
極端に合理的に考えれば、アッサリと「死ぬ」のが一番面倒でなく合理的。
しかし、感情もあり、人間同士の関係もあるから、死は恐れられるし、忌み嫌われる。
よって、どうにか現在を一番いい状態で生きていくしかないと悟る。
そのための努力を惜しまなくても、いつかは必ず人は死ぬ。
それまでは、今できることを楽しむのが最高の生き方、そして死に方になる。
遺された人に対しての言葉を遺すのも、今を生きている人の責任だろう。
親たちの世代とはもう違うのだ。
さあ、微熱のない時に書かなくっちゃ、「生前整理ノート」!!
そして、残りを少しでも楽しく生きなくっちゃ、もったいない。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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