親から受け継いだ遺伝子は決していいものではないことは十分承知。
それは身体にも、頭の方(能力や判断力)も当てはまる。
虚弱な体質は父から、散漫な気分を持ってたり、継続力の欠如などはどちらからとは言えない。
父母もそれなりに、継続する力はあったと思われる。
1つだけいいところがあるとすれば、「集中力はある」かな。
父母の庇護の元から離れて、結婚してからの漠然とした望みは「穏やかに暮らすこと」だった。
息子が産まれるまでは、当時「料理教室」「書道教室」に通い、
仕事をするために「ワープロ教室」にも通い始めていた。
パソコンは黎明期、まだワープロが主流だった、そんな時代。
諦めかけた時に息子を妊娠した。嬉しいけど、不安だらけだった。
無事産まれてきてくれた息子だったが、産後は辛く、いい思い出はない。
ここからが、私の波乱万丈が始まったといえる。
いつも「この子に何かあったらどうしよう」という不安だらけでのワンオペ育児。
アメリカへの夫の留学などについて行ったのは、虚弱な母親にはキツかった。
この辺りで、婦人科検診を受けておくべきだったのを優先順位を間違えている。
自分の健康に根拠のない自信を持っていた。
痩せ型の父母が60歳を過ぎても、それなりに元気だったから。
専業主婦でいることを強いられ、諦めた税理士の道。
そのストレスを紛らわすように、専業主婦でテニスや園芸に打ち込んだ。
体力をつけたくてやったテニスで、虚弱な身体は多分免疫力を落とした。
そして、子宮頚がん発覚。発見時は、早期ではなかった。
私が次第に回復を歩んで、自分のことしか見えていない時に夫が急逝。
自分のこれからと、息子の進学のことしか頭になかったバカ妻だった。
自身の、夫への配慮のなさが今も悲しい。
そして、リンパ浮腫発症を言われながらも、日常生活を優先。
当然の如くリンパ浮腫発症。
それからは、虚弱な身体は蜂窩織炎に襲われる。
これも気をつけていれば、そうはならないものだろうけど・・
なぜかキャパを超えたことをしてしまう、自己の身体能力の把握が大雑把。
いつも健康不安がつきまとうようになってしまった。
頼りの夫はいない、息子も独立して家を出た。
65歳にして、自ら「要支援1」を申請し、認定される。
なんとかQOLを上げたいとの微かな希望を持って、LVA手術を受けようとしている途中。
これらの行動、決断のすべてと、また頭に去来する感情に導かれ今がある。
結果が今の状況だから、けして私が望んだ「穏やかな暮らし」ではない。
身体的な親からの遺伝と、頭で判断してきたことの結果が、この波乱万丈な人生。
これって、もしかしたら「波乱万丈を自ら作る能力」すらあるのではないかと感じる昨今。
私だって穏やかな、夫婦2人暮らし、子どもは結婚し孫がいる、という絵に描いたような順調な人生がよかった。
でも、残念ながら私にはその「穏やかな暮らし」を得る「素質」がなかった。
がゆえに、どこまで波乱万丈を続けることになるのか?
そろそろ、変な素質・才能を封印して「穏やかな暮らし」をすることができるようになるだろうか。
自分なりの分析では、「些細な配慮の欠如」「少しの用心深さの欠如」に尽きる。
「後先考えないで突っ走る気質」もあったかと。
今はもう「用心深い老女」になった。いや、どうか?
波乱万丈がこの辺りで終わるかどうか、それは自分でもわからない。
大きな幸せなど望まない。
ささやかでいいのだ、小さな幸せ、穏やかな日常を送れる晩年にしたいと心から願う。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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